気になる欠陥人天子の社稷を祀る最高の贄、牛・羊・豚は大牢、 羊・豚は小牢、であった。 羊は高温多湿を嫌い日本では珍獣であった。 明治に北海道で飼育され緬羊と呼ばれた。 木綿の綿より高級な縮緬の緬とは面妖で御免。 義経が大陸に逃れジンギスカンになったと言う人もいて、 ジンギスカンは北海道名物となった。 義経は中国人に喰われた?? 気になる欠陥人 殷の時代の犠牲、生け贄には羊、豕(ブタ)、犬、牛のほか、羌人、南人など、牧羊民族の羌人はすぐ捕まったが、 南人は勇猛果敢で中々捕まえるのが難しかったらしく、また、犠牲の使い方も、水に沈めたり、焼いたり、切り裂いたり、様々であり、 牛十頭と羌人(チベット系)3人の牲の記録など有り、神に捧げた後、喰ったに違い有るまい。 チベット人は現代中国にても犠牲者である・・ 羊を鋸で二つに切って神への犠牲にする字が「義」で、切断して毛並み、角のほかに内臓もすべて完全であることを証明するためで、 まったく欠陥が無い正しい犠牲のことを「義」といい「ただしい」「よい」の意味となった。 痔を病んだ即ち欠陥人は神に捧げる犠牲にはならなかった。 殷墟殉葬には首無しと頸だけと頚有りが数百体有り、首無しと頸だけの数は合わず首が多いが、 頸と体が合体したい怨念を目から放射して侵入者や霊蠱を威嚇する装置 若しくは 羌人30人を凶刃で首切り首を死んだ王に供え王霊に霊力を加算し強化する装置 と考えられる。 目は重要な目玉で、首は目の上に毛がある字で、道は首とシンニョウからなり異族の首で、臣は目玉を90度回転した形であり、 見は目に足を付けたゲゲゲの鬼太郎の目玉親爺、媚女は眼力レーザー光線で敵を悩殺し敗れたら斬られた。 伐はホコで人頭を斬る儀礼で、これは王即ち神の死した場合(神の死?)のみに行われた。 怪漢、快感、快刀乱麻、快は刃物で分断する勢いをココロヨイとするもので、殷人の血祭大好き人間らしさが溢れている。 卯(ボウ)は生け贄の二つ裂き、シ(師の左の字)は卯を90度回転した形で切断はされてなく軍の出征時に奉じる祭肉、 社に祀った賑肉、尾頭付きが正式な様に肉もそうであろうから、師の左の字は、それであろうか。 卯は頸斬り・胴切りで人・家畜の両断、師の左の字は頚繋がりで人の動脈切りか。 小山鉄郎は師の左の字は二枚肉とするが、皮一枚で繋がっている意味であろう。 殷王朝の立役者、伊尹は料理人であり、師であったから、師という字の肉を切り分ける総帥の意に合う。 日本人には人の魂や真心はその腹部に宿るとする考えがあり切腹が武士道を貫く上で最も相応しい行為と考えられ 最も重要な部分である はらわたを露出させること により自身の勇気、真心、真情(いつわりの無い心)を示した。 ウッ! 西暦2011年の卯はギロチンみたいに両分する形、真っ二つに切り裂くさまを示し、M党の行く末を予測するかのよう・・ ★卯 ボウ、さく、ころす、う;生け贄の二つ裂き、両分。牲肉を両分する(した)形。祭祀に犠牲を割く。 劉殺、劉=卯(両分)+金リ(えぐる,けずる) 祖乙(ソイツ)に羌(キョウ)十又(有)五を侑(すす)め、羊(ワ冠)を卯(殺)し、一牛を侑(すす)めんか(卜辞) *羌;キョウ、ああ;羊頭の人に象る *羌(キョウ)は、ときに辮髪有りで示されチベット系と思わる牧羊族。卜辞に獲羌を卜する例、羌人を犠牲とする例多し。 ★侑 有(侑)は祭肉を持って供える形。肉を持って神に侑薦する。有が多義化し侑が派生 卜文には有りに又を用い、金文には有りを用いる。金文は又を右、有りに用いる。 「又」は右の初文だが右に用いない。 ★宜 ギ、まつる、よろし;俎(まな板)に多(多肉)を置く形。俎肉。肉を殺(そ)いで俎上に載せ祀ること。肉を以て祀ること。 羌(キョウ)3人を宜(ころ)し10牛を卯(さ)かんか(卜辞) *宜弟;長子生まば鮮(ころ)して喰い次子に継ぐ *鮮;セン、あたらしい、あざやか、すくない(魚3+羊3=腥臭) *新鮮は腥臭(鮮=なまうお,魚+なまにく,羊)有り ★伐 バツ、ベツ、うつ、きる、ほこる;戈(ほこ)で人を斬る形。戈(ほこ)を以て人を斬る形。戈で人頭を斬る儀礼。 羌(キョウ)30人を伐(ころ)さんか(卜辞)斬首葬、殷墟殉葬 ★師 シ(師の左の字)は卯を90度回転した形で切断はされてなく軍の出征時に奉じる祭肉、 社に祀った賑肉、尾頭付きが正式な様に肉もそうであろうから、師の左の字は、それであろうか、 卯は頸斬り・胴切りで人・家畜の両断、師の左の字は頚繋がりで人の動脈切りか ★多 多肉の意。牲薦の肉の多いことから多いの意になる。 ★埋 犠牲を埋(うず)める。埋沈を以って山林川沢を祀る。 ★沈 卜文は水間に牛や羊を加えた形。犠牲を沈(しず)める。埋沈を以って山林川沢を祀る。 ★然 犬肉を焼いて脂の燃える臭いで天神が祭儀を享ける。卜辞に犬牲を燎(焼)き天を祀る祭儀有り。 類は米と犬(大は点省いた)と頁(拝する形) 浜栗(蛤) 殷では蛤が戦争必携品であった。 大ハマグリは雉が大水に入り変身したもので、鳥は、神意の媒介者、王と太陽を結ぶ使者であったから、 大ハマグリの賑肉は神聖にして呪力を宿し敵を呪い殺す武器だった。 シ(師の左の字)の古代文字は二枚貝がパカッと開いた様な形にも見え、師の左の字は本当に大ハマグリなのか? と、 小山鉄郎は白川静に問い質したが「ハッキリしないんよ」と言われた。 師は2500人、旅が500人で、軍が出撃する際に持っていたらしい肉、賑肉は、当初は大ハマグリであったかも知れないが、 大ハマグリが神の使者の化身としても実際問題、日持ちしないし、海から遠ざかり遠征が長期間になるにつれ、次第に、 呪詛より実効・実利が重んじられ、戦士兼食糧として生きて戦い、飢えて喰われる戦用奴隷が重宝された、 のであろうか? 生きて戦い、飢えて喰われるも、勝ち進む限りは当然ながら敵側が喰い物で、それはつい最近の文革迄もそうであったし、 喰われる殷兵が殷が賑い喪失し亡びた原因の1つで、武器を逆様にして降伏した理由でもある。 早々に勝利を収め無事帰還出来たときの帰の旧字はシ(師の左の字)を含み帰賑の礼を意味した。 (注1)賑は貝偏→月偏で、大ハマグリのなま肉(生きて元気な肉)のことで、熟れ肉は塩辛風味、振播(手偏→月偏)シンバン ;社稷・宗廟に供え同姓の国に賜る肉で シンは生肉、バンは熟肉 ;蛤(ハマグリ)貝殻は耕耘に用いたり刃物として用いた。 ;貝偏→示偏=神に捧げ。 (注2)竹が蛇に、蛇が雉に、雉が蜃に、大ハマグリは蜃、蜃気楼を吐く蛟(みずち)で、辰は辛気臭いから辛を飾り龍と成る (注3)蜃(シン、かい、はまぐり)は蛤の貝殻を焼いて粉にした、かきばい、いしばいの意味有り (注4)シ(師の左の字)の古代文字は二枚貝がパカッと開いた様な形にも見え、貝殻を焼いて石灰(いしばい)止血に用いるなら、 あらゆる軍事行動において必需であり語意として正解かも知れない。 蜃は蛤の貝殻を焼いて粉にした、かきばい、いしばい(石灰)止血、虫害祓除。 (注5)シ(師の左の字)の古代文字は二枚貝がパカッと開いた様な形にも見え、又、8字にも、66を縦書きした様にも、g にも見え、 共通するのは二つの輪が繋がった形、つまり手錠で、鉄は未だ発見されていないからヒモで二人の戦用奴隷を連結し、 軍出征の際、就寝時の逃亡を防止したのか? その後、作戦に夜襲が採り入れられるようになった時代には戦用奴隷用手錠も無くなり、古代文字にその痕跡を残すことになった。 唐土(尊と)の鳥を喰わず 唐土(尊と)の鳥と日本の鳥と渡らぬ先に云々は、害鳥追い払いのオマジナイ。 荊楚歳時記に曰く、正月一日を鶏と為し、二日を狗と為し、三日を羊、四日を猪、五日を牛、六日を馬、七日を人と為す。 一日鶏を殺さず、二日狗(犬)を殺さず、三日は羊、四日は猪(豚)、五日は牛、六日は馬を殺さず、七日人を殺さず。 一日鶏を殺さず、というのは、新たな年の夜明けを告げる大事な役目が有るからであり、 二日~六日は置いて問題は七日。 七日人を殺さず、を【刑を行わず】とする愚かな日本人がいるが、歳時記のお正月民間行事に関する記述に、 中国司法機関の業務予定である死刑執行が云々される訳がない。 『人を喰わず』と素直に読むべきである。 殺さず(喰わず)であるから元旦から松の内の間、おかゆだけ、ってのも有りという年中行事なのである。 (注1)広大な大陸のほんの一部(揚子江中流、湖南と湖北)、5000年の歴史のほんの一時期(六朝)その記述(六朝、梁の宗懍) での判断は不当との言もあるが、詳細記録はこれがメインである。 (注2)羊猪の順異同有り。二日猪有り。 (注3)鶏は早朝鳴き人起し門守る大功に報い門戸に懸くる。 (注4)元旦~七日の説は、その日晴れればその物育ち、陰(くも)れば災(わざわ)い有りとする占い、との説も有り、 正月八日は穀の日で、この日の晴曇でその年(年は稔りを意味す)の豊凶が知れるという説もあった。 (注5)朔(ついたち)歳朔さいさく、朔旦正月、正月は農耕儀礼の行事多く、年の初めに豊産を祈る (注6)旦は雲間からのぞく太陽、地平線・水平線(_)から出づる日輪 (注7)荊楚歳時記は守屋美都雄翻訳、 梁の宗懍(そうりん,湖北の江陵の人)が6世紀498-502に著述、7世紀に隋の杜公瞻(とこうせん)が注釈 ジャンル別一覧
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